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<Author: 劉長卿>
<Title: 長沙過賈誼宅>
<Format: 格式不明>
<Year: 1988>
<BookName: 唐詩三百首詳解  上卷>
<Translator: 田部井文雄>
<style: 現代文有假名>
<style2: 日本現代譯文附假名標注>
<TranslatedTitle: 長沙にて賈誼の宅に過る>
<BookPage: 272>
<UsedPage: 1>
<Feature: 0>
<End Header>
<Poem>
三年謫宦此棲遲，
萬古惟留楚客悲。
秋草獨尋人去後，
寒林空見日斜時。
漢文有道恩猶薄，
湘水無情弔豈知。
寂寂江山搖落處，
憐君何事到天涯。
<End Poem>
<Translation>
三年間（さんねんかん）賈誼（かぎ）は左遷（させん）されて、ここに気（き）ままな日（ひ）を過（す）ごしたと聞（き）くが、その大昔（おおむかし）から今（いま）まで、この楚（そ）の地方（ちほう）を旅（たび）する人々（ひとびと）のそのことを思（おも）う悲（かな）しみを、今（いま）もここに残（のこ）すばかりである。

その、賈誼（かぎ）なる人（ひと）がこの世（よ）を去（さ）った後（あと）、わたしは秋草（あきくさ）の中（なか）にその人（ひと）の跡（あと）を、一人（ひとり）でおとずてみたが、わびしい林（はやし）に、ただ夕日（ゆうひ）が斜（なな）めにさしているのを見（み）ただけであった。

漢（かん）の文帝（ぶんてい）は、徳（とく）の高（たかい）い天子（てんし）であったが、賈誼（かぎ）への恩情（おんじょう）は、まだなお薄（うす）く、湘水（しょうすい）は人（ひと）の心（こころ）を知（し）らぬながれであるから、賈誼（かぎ）が屈原（くつげん）を弔（とむら）う文（ぶん）を作（つく）ったことなど、どうして理解（りかい）しようか。

さびしく静（しず）かなこの川（かわ）や山（やま）は、木（こ）の葉（は）の舞（ま）い落（お）ちるところである。今思（いまおも）いやるのは、君（きみ）がいったい、どうしてこの天（てん）の果（は）てのような長沙（ちょうさ）の地（ち）にやって来（き）たのかということだ。
<End Translation>